田舎の話

こちらのブログは、意味もなくぶらぶらしたい人が読んでください。

 

あ、ぶらぶらというのは、わたしの世界をぶらぶらしたい人が、とゆう意味です。

けして銀ブラではありません。

 

小さいときの記憶が、ときたま頭をかすめる。

 

ふと、座敷で起きたら日が昇っており

暖かいごはんと濃い味噌汁の匂いがする。

 

ぷん、とかおるその暖かさに、子供ながらなにやら平和の匂いをかぎとり、また意味もなく抜け殻へと戻るのだ。

 

祖母の味噌汁は世界で1番うまい。

濃い味噌と、たっぷりの具。昆布の出汁をきちんと毎朝取って作ってくれる。

そして白米はいつも出来立てで暖かい。柔らかく艶がある。美しい味がする。

アジの干物。そして漬物。もちろん自家製だ。

わたしの一番のお気に入りは、大根の葉と茎、じゃこを醤油でいためたご飯のお供。

 

今思えば、あんなにうまい飯を食うたことがない。

 

ただひたすらに山に囲まれた家でダラダラと過ごし、気が向いたら買い物へ連れて行ってもらい。

 

岡山にはイズミというイトーヨーカドーみたいな建物がある。

近いイズミと、遠いイズミがある。遠いイズミは天満屋の近くで、ちょっとした都会の中にある場所だった。

わたしはこの天満屋や遠いイズミにいく途中の道路の、ガソリンスタンドに置いてあるパンダやウサギの人形を見るのが好きだった。

今日はパンダが笑っている。この間はウサギがいた。とか。

 

そしてイズミでたべるアイスが好きだった。

メロンの味があまりしないのにメロンアイスをいつもチョイスして食べていた。

 

何気ない日々だった。何気ない毎日だった。

だけどあんなにおだやかで暇で幸せな日々はなかっただろう。何かに嫉妬することもなければ、何かに怯えることもなく。何かに悲しくなることもなければ、何かを羨むこともない。

ただ与えられた毎日。

 

ただ与えられた毎日。

 

朝早く起きれたら、祖父と川まで散歩に行った。のんのん様に手を合わせ、掃除をした。

あるとき折り紙で紙風船をおってお供えした。

わたしはそれをそなえながら、「わたしの心は紙風船」と話していたそうだ。

昔からロマンチストだったのだろう。

 

掃除をした後は、のんのん様の裏にある川へ、トビの餌やりに行った。トビは、なんでもたべる。前日の残り物を向こう岸の浮島へポーンとほうりなげる。そしてトビが来ることを待つ。

 

しばらくしてトビが食べに来る。

 

わたしは、あるとき。トビのために祖父が用意したオールドファッションドーナツを食べたいと言った。祖父が投げる直前にそれをください!とお願いしたのだ。

祖父は少しだけわたしにドーナツをくれた。

祖父は本当に優しいひとだ。

 

川へ行く途中には、大好きなカエルがたくさんいる。アマガエルも可愛いが背中に毒があるので、茶色いスタンダードなカエルが一番好きだった。

 

よく捕まえて土に埋めて出てこれるのか実験したり、手だけ捕まえて平泳ぎの研究をした。

川に向かって投げたりもした。いっぱい捕まえていっぱい投げて遊んだ。サワガニもたくさん捕まえた。ジャンボタニシも、ジャンボオタマジャクシもたくさん。

 

銀と青のヘビが優雅に川を泳いでいるのも見たことがある。

 

ハブの抜け殻を見たこともある。

ゴミを焼くおじさんを手伝ったりもした。

シオカラトンボがたくさんいて、畑がたくさんあった。   

 

星空は満天だった。

ヒグラシが鳴いて、コオロギもないて。

ショウリョウバッタもつかまえてトノサマバッタもつかまえて。

  

 

 

 

田舎はよかった。

自然に還りたい。

人間なら、一度はそう思うだろう。

都会は闇と毒と甘い誘惑と、本当に幸せな町だ。

わたしはいつも小さい頃の田んぼと川と山を心に留めている。

いつも。

 

 

 

 

 

 

モニカみなみ