みんな闘っているのだよ。。。

わたしのブログは、ひたすらに感じたことをだらだらとゴールもスタートもなく書くもの。だからなにかtargetを持って読む人には苦痛だと自負している。

カテゴリー分けすることが嫌いなわたしだから、カテゴリー分けすることを拒否したブログだ。

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▲日常にひそむアート▲

 

最近感激したアートは、トイレアート🚽

やっぱりトイレアートに勝るものがなかなかない。いや、トイレアートっつうか、トイレ綺麗にしたらだいぶ平和になる国たくさんあると感じている。

 

トイレってゆう風呂よりもデリケートゾーンな世界を回していくというか、訴えるもの。

しかもガツガツ訴えるものでないってのがなによりすごい。びっくり。

 

自分を振り返る機会が多くなってきた最近。

老けたのかなんなのか?って感じなんだが。

わたしは幼少期から教会にいた。

別に捨てられたわけでなくて、とりあえず小学校受験のために、カトリックの勉強で、教会の土曜学校に通っていた。

 

土曜学校は、3時くらいから始まって聖書読んだり遊んだりして5時におやつ食べて解散。🍭

このおやつの時間のためにわたしはつまらない時間をひたすら我慢していた。待て、のイヌ状態だ。🐕

そこで学んだことは、自分のためより、人のためにすることがいかに素晴らしいかということ。あとは地道にがんばれば自分でも一番になれること。

 

だからかもしれないが、わたしは人より前に行くことに非常に抵抗がある。

とりあえずまず譲る。どうぞ。

自分が人に譲るところに美徳を感ずる。

自分が譲ることで、日本のコミュニティで何とは無しにうまくいっていた。

 

この感覚を見事にぶち壊してくれたのが、インド人たちだった🇮🇳

わたしの人生はダンスとインド人によって造られたといっても過言ではない。

けして、インドの人がゆずらないとかマナーがないとかではない。日本に住むインドの人はみんな日本人より日本人で、逆に恥ずかしくなることもある。

 

インドの人は気持ちをきちんという。

好きなものは好きだと言う。

哲学がある、そしてそれがかなりstrong

気持ちを言わないことの方が、ストレスがheartに入ると教えてくれる

仲間が大切だと教えてくれる

本当に大切にすべきことを教えてくれる。つまり、大切にすべきでないことも教えてくれる。

 

インドに限らず、日本は回りくどく人に何かを伝える。

わたしが最近嫌だと感じるものの一つに、

「否定するつもりはないけど」という言葉がある。いやそれ否定だろ、と思うし別に否定しようがいいじゃないかと思うわけだ。

自分がよく思われたいからそういう言い方をする。それよりはキライならきらいではっきりした方がコミュニケーションしやすい。

だからわたしは女子会が嫌いだ。

本当に本当に一番嫌いだ。パーティと同じくらい嫌いだ。笑笑

 

▲衣をつける意味について、考えてみた▲

今日。

天丼を食して感じたこと。

天ぷらの意味はなんだ??

天ぷらは、わざわざ肉や海鮮や野菜に衣をつけ揚げて食べる。

わたしははたと、この意味がわからなくなった。なぜ、衣をつけるのだろう?

素揚げはさすがにオイルやばいけど、わざわざ天ぷら粉をまぶってあげて、かさまし?ってこと?となんだか急に頭がはてなだらけになったのである。

 

 

 

モニカみなみ