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どう生きるか

教習所とおんなしくらい

 

ダライ・ラマの自伝が読み終わらなくて、

 

もう嫌すぎて投げ出そうかと、

 

それはそれは何百回も思ったのだけど、

 

諦めるみたいで嫌だからがんばって読んだ。

 

ついに、今日読了した。

 

感想としては、

 

わたしはチベット好きといいつつも、

 

チベットの抱える諸問題を、

 

何一つ知らなかったということ。

 

昔友人に言われた、

 

チベットに行ってもいまはチベット人がほとんどいない

 

という言葉をようやく理解したこと。

 

ダライ・ラマという生き方の不思議さ。

 

宗教国家について思うことなど、

 

たくさんある。

 

ダライ・ラマ、こないだ来日していらしたようで、

 

是非この自伝にサインしてもらいたかったが、

 

気付いた時はもう遅く、

 

ただ、

 

ダライ・ラマが身近になったのか、

 

ダライ・ラマと聞いただけで、

 

かなりテンションがあがり、

 

知り合いのような感覚に陥った。

 

全然知り合いでもなんでもないのに。

 

ただ、ダライ・ラマは、

 

日本に住む兄弟姉妹と、

 

おっしゃってくださるでしょう。

 

宗教を実践する方だけど、

 

宗教にとらわれない彼の思考や姿勢は、

 

非常に宗教者として頼もしく、

 

魅力的である。

 

やはり宗教を偏見やおかしなものにするのは

 

いつも中心でなく、

 

取り巻きのせいだとよくわかった。

 

本来宗教は生活や人間を豊かにするもの。

 

縛り付けるもの、破壊するものではない。

 

そこ、勘違いするなよ。

 

土台に宗教があるかないかで、

 

というかそういった自前の哲学、指針があるかないかで、

 

生き方や愛しかたが変わる、と思う。

 

人間は”生き方”だ。

 

何になるか、はさほど大事ではない。

 

どう生きるか。

 

わたしは、

 

”一隅を照らす人”になると決めている。

 

そう、

 

わかる人にはわかる金○先生の言葉。

 

世界中の人がわたしを知らずともよい。

 

有名にならずともよい。

 

ただ、

 

目の前の人が困っていたら、

 

迷わず手を差し伸べることができる人。

 

お腹をすかしていたら自分のパンを差し出すことのできる人。

 

↑これはアラジンのワンシーン。

 

そういう人間でいる。

 

優しさを忘れた人間には、

 

哀れみしかなくなる。

 

大切なのは、

 

こころだ。

 

 

 

 

 

百仁華