音
巷で大流行りの除夜の鐘問題について。
わたしは実は、
除夜の鐘が、
非常に苦手です。
除夜の鐘に限らず、
鐘や、
金属片の、
あの響きあう音が、
それはそれは苦手です。
苦手とは、
好き嫌いもありますが、
単に嫌いなのではなく、
こう、
カーンという響く、
ある種くぐもった音が、
耳奥の鼓膜に突き刺さり、
脳内を駆け巡り、
ありとあらゆる脳神経を過敏に反応させ、
自分自身の中に、
音による渦が生まれ、
それによってわたしは、
恐怖を通り越した新たなる恐怖により、
しばらくの間支配され、
まるで、
車の前に飛び出した子猫のように、
身動きが取れなくなってしまいます。
これを、
もしかしたら、
神経質。
あるいは、
絶対音感と、
呼称するのかもしれません。
鐘に限らず、
例えば、
調理場のボウルに物がぶつかり響き渡る音、
それに加え赤ん坊の泣き声と
水の滴る音が合わさると、
非常に不快な音が生まれ、
わたしは大変な恐怖を押し殺しながら、
笑顔で、
必死に、
脳内の音を、
新たな音によって消す努力をするのです。
太鼓の音もそう、
輪ゴムの貼った音もそう。
風船を手で弾く音もそう、
シンバルの音、
寿司屋のガラス戸が閉まる音、
風で窓ガラスが揺れる音、
ベッドのきしむ音、
全てが恐怖です。
だからこそ、
わたしは鐘が廃止になっても、
たとえそれが伝統でも、
実は、
ほっとしているのです。
行く年来る年の鐘の音が怖くて
耳を塞いで布団から出られない人間です。
音は時に仲間であり、
恋人であります。
伴侶でもあります。
しかしながら、
最大の敵でもあります。
百仁華